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整体日記

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医学の歴史~中世【近代外科学の父パレ】

今回は、NPO法人トータルヘルスサポーターズのブログリレー担当として、医学の歴史を書きます。

 

前回に続き、医学史の偉人から医学の歴史を紐解いていきます。 今回は、中世ヨーロッパの『近代外科学の父』と呼ばれたアンブロワズ・パレから医学の歴史を紐解きます。   アンブロワズ・パレはB.C1510~B.C1590に活躍したフランスの人で、身分の低かった「理髪外科医」から身を起こし、やがてヨーロッパ最高の医師となった外科医です。

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カトリック教会が支配していた中世ヨーロッパでは、「教会は血を忌む」との教えから、外科は「汚らわしい野蛮な行為」と認識されていたため、大学で正式な医学教育を受けた医師たちは、自らメスを持つことなどなく、教養のない理髪師たちを指図して外科処置を行なわせていました。

 

当時の外科治療とは、ヒゲを剃ったり髪を切ったりする行為の延長にあるものという認識で、彼らを「理髪外科医」と呼んでいました。 ちなみに、「赤、青、白」のくるくる回る床屋のサインポールは、理髪師が外科医をかねていた名残(赤は動脈、青は静脈、白は包帯)といわれています。※本当の由来は定かではありません。

 

実際、当時の外科治療といえば、せいぜい体表の膿瘍の切開程度のもので、その他は「瀉血」「焼灼」「吸い玉」など、医学的信憑性の薄いものでした。 中世ヨーロッパはフランスとイタリアで覇権戦争が盛んだったことにより、火薬技術が発展し、戦争の銃創が化膿するのは、火薬の毒に汚染されているためと考えられていました。

 

また今でこそ、痛々しく信じがたい治療法ですが、当時は火薬の毒を消し去るためということで、傷口を煮えたぎった油で消毒したり、焼きゴテで焼いて消毒したりという処置を行なっていたために、怪我人は治るどころがますます重篤な事態に陥っていました。

 

そこで軍医として配属されたパレは、運ばれてきた戦傷者に対して、煮えたぎった油を染み込ませた布での痛々しい消毒の代わりに、卵黄と油を混ぜて冷やした軟膏をつくり、その軟膏を塗ってやさしく包帯で包むという方法を試しました。 この方法の方が戦傷者の苦痛が和らぐと思ったからです。

 

その次の日、驚くべきことに戦傷者は今までの治療では考えられない回復を見せていました。これが軟膏の始まり、外科学のルネッサンスが始まった瞬間です。

「我、包帯し、神、これを癒したもう」

これはパレの残した有名な言葉です。

 

こうして戦場で名声を高めたパレは、その後の従軍でさらに画期的な手術法を開発しました。 当時は、四肢の切断などの重篤な戦傷者に対して、出血を確実に止める方法がなかったため、焼きゴテで切断端を焼くという方法が採られていましたが、これは耐え難い苦痛を与え、しかも火傷による重篤な副障害をもたらしていました。

パレは、「血管の断端を糸でくくれば確実な止血ができる。」と考え、これにより「血管結紮法」が誕生しました。 今でこそ常識的なことですが、当時は非常に画期的な発見でした。

 

こうして、戦場で数々の奇跡を起こしたパレは、やがて国王アンリ2世の外科侍医という名誉ある職に任命され、気管切開やヘルニア、口蓋裂などの手術法、義手や義足の開発など数々の業績を残し、その後4代にわたるフランス国王の侍医をつとめ、1562年、国王シャルル9世の筆頭外科医の職に任命され、ついにフランス最高の医師に認められました。

 

このように残酷と思える治療法から近代的な治療法を確立した「優しい外科医パレ」には、こんな逸話も残されています。 病床にあった国王シャルル9世との会話の中で、シャルル9世に「哀れな患者よりもっと良い手当をしてくれ」と言われ、パレは「それはできません。すべての病み人に国王と同じ手当をしているからです」と答えたと云われています。

 

アンブロワズ・パレは、迷信から外科学を解放し、実験医学の基礎を確立した偉大な医学者であり、当時低い立場にあった理髪外科医の社会的地位を高めた医学界の改革者であり、患者一人一人に対して愛をもって人を癒すことを実践した信仰心の篤い優しい外科医でした。 彼が近代外科学の父と呼ばれ、今も世界中で語り継がれているのは、画期的な外科治療法の発見だけでなく、このような高い人格性によるのでしょうね!

 

今回は、【近代外科学の父パレ】から医学史を学びました。

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最近は産湯を使わない

今回のブログは  たかQカイロプラクティックセンター 高久和巳先生の記事を引用しています。

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医療ドラマなどで出産直後の赤ちゃんを産湯につけるため、「生まれた~スグにお湯をたくさん用意して!」といった場面や漫画などでは産湯につけてる場面をよく見ているためか、出産した赤ちゃんは産湯にすぐにつけないといけないような刷り込みがされているのではないでしょうか!?

産湯の目的は生まれたての赤ちゃんは、お母さんのお腹にいたときに羊水内で皮膚に胎脂(たいし)が付いてたり、出産の過程で血液などが付いているため、これらを洗い落として清めるのが目的のようです。

以前では特に感染症予防という目的があったため、感染症予防薬を産湯にいれているときもあったようです。

あと、ドラマである「ありったけのお湯」は赤ちゃんの体を洗うためだけでなく母体や機材の汚れを洗い流すための目的もあるようです。

産湯を使わないほうがいい

出産してスグに産湯を使うと、実は赤ちゃんに様々なマイナスの要因を与えることになるからです。

1、赤ちゃんを温めることで、エネルギー消費を高めてしまう(体力保存)

2、皮膚を擦ることで皮膚表面を傷めてしまう危険性がある(細菌感染予防)

3、皮膚の保護に重要な胎脂を洗い流してしまう(免疫抗体保存)

4、沐浴後には全身が濡れており、低体温となる危険性がある

特に重要なのは胎脂を洗い流してしまうことです。

<胎脂の成分は>
10%が脂質(分岐脂肪酸コレステロールエステル)
10%が蛋白質
80%が水分

胎脂は白っぽいクリームのような脂肪分で、生まれたての赤ちゃんには胎脂が身体はもちろん頭や顔にもべったり付いて、赤ちゃんの肌が痛まないためのバリア的な役割をしてます。

胎脂も時間経過とともに減ってくると、外気など様々な刺激によって肌のトラブルが生じやすくなってきます。
肌トラブルは先天的要因もありますが、少なくても胎脂によって生まれたての赤ちゃんの肌トラブルをある程度防ぐことが出来るといわれています。

アメリカなどでは出生後に産湯を使わず、血液等の汚れを取るだけのドライテクニックが主流で、出生後はなるべく赤ちゃんに手をかけず、自然な状態に保つこと目的としています。

ドライテクニックにしても特に新生児の感染症の発症率が上昇したとの証拠もないそうです。

逆にむしろ、ドライテクニックにして他の要因も含め、発症率が低下してるそうで、産湯を使わないことのほうが赤ちゃんにとって様々な利点があることが解明されてきました。

そのため最近の日本の多くの出産される病院でも産湯を使わないドライテクニックを取り入れているところが増えているそうです。

これから出産をされる予定の方は、担当されるお医者さんに聞いてみることをお勧めします。

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医学の歴史~古代ギリシャ【ヒポクラテス】

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医学の歴史上の重要人物にスポットを当てて、医学の歴史を紐解いていきます。

今回は、古代ギリシャの医学の父ヒポクラテスについて書いていきます。

 

まず、ヒポクラテスを語る重要な点を箇条書きで書きます。

 

・ヒポクラテス全集

・医学の父と呼ばれる。

・マッサージを始めた。

・「病気を診ず、病人を診よ。」

・徒弟制度

・神がかり治療から、観察重視の治療へ

・ヒポクラテスの誓い

 

ヒポクラテスは、紀元前460年~370年頃にギリシアで活躍した医師で、彼の著作とされる『ヒポクラテス全集』は、世界で最も有名な医学の古典文献で、 ヒポクラテスの活躍した古代ギリシア時代の医学は、西洋医学のルーツとして評価され、また歴史上実在した人物ヒポクラテスを「医学の父」と呼んでいます。

 

ヒポクラテスは紀元前460年頃、エーゲ海南東の小島「コス島」に生まれました。

そして世襲の医師であった父から医術を学び、やがてギリシアの島々を巡回医として巡りながら、各地ですぐれた治療を行なって名声を高めました。

また「凡そ医たる者は、医学に関する学科とともにマッサージの一科をも研究せねばならない。」とマッサージの効力と必要性を述べました。

その後、長い間マッサージ研究は絶えたようですが、医学界の権威となった彼にはやがて多くの弟子がつき、100歳近い高齢まで生きたと伝えられています。

 

ヒポクラテスの古代ギリシアでは、コス島で発展したコス学派、クニドス島で発展したクニドス学派、シチリア島で発展したシシリー学派が3大学派と呼ばれ、 ヒポクラテスらコス島の医師を中心とする「コス学派」と対岸に勢力を持つ「クニドス学派」が対立していました。

 

クニドス学派は、病気を詳しく分析しようとしたのに対し、コス学派は、病気を患者の生命全体の中に発生した現象だととらえました。

 

クニドス学派は、「病人を診ず、病気を診よ。」 コス学派は、「病気を診ず、病人を診よ。」

その結果、この時代により大きな成功をおさめたのは、ヒポクラテスを中心としたコス学派のほうでした。

 

今現在の医療体系では、「病人を診ず、病気を診よ。」と、病理学を重要視した現代西洋医学の土台となる考え方が主流になっていますが、 「病気を診ず、病人を診よ。」と、ヒポクラテスの考え方を重要視した伝統東洋医学の漢方や鍼灸、西洋手技療法のカイロプラクティックやオステオパシーなどの代替療法も改めて評価されているように感じています。

 

さて、3大学派を見てわかるように、これらの学派はギリシア本土ではなく、周囲の植民地において発達しました。 その理由は、当時の医師は学校で教育されるのではなく、親方の医師について学ぶ、いわゆる徒弟制度によって知識の伝授や発達が行われたことにあります。

 

また、ヒポクラテス以前、古代ギリシアの医療は医神アスクレピオスへの信仰を中心とした魔術的なものでした。 ちなみにアスクレピオスの持つ「蛇の巻きついた杖」は、現代にあっても医学のシンボルとされ、WHOのロゴマークにも使用されています。

 

当時、ギリシア各地には、医神アスクレピオスをまつる神殿が数多く建てられ、治療を求めるものは、何日もこの神殿にこもって、神官から儀式的な治療を受けていました。

一方、ヒポクラテスは、こうした神がかり的な治療を否定しました。

ヒポクラテスは、けして無神論者であったわけではありませんが、しかし彼は「病気の原因は人間の智恵で理解できるはずだ。」と考え、超自然の力に頼った解決法にすがることを避けました。

 

また、ヒポクラテスは古代ギリシアで隆盛を極めていた「思弁哲学」からも医学を解放しようとしました。 彼は、推論と論証ではなく、客観的な現象の観察から、結論を出そうとしました。

 

当時ギリシアでは、『血液』『黄胆汁』『黒胆汁』『粘液』の四つの体液からなる四体液説が広く受けいられていました。

ヒポクラテスは、客観的な現象の観察から、生体には、こうした体液のバランスを回復させる機能『自然治癒力』が備わっていると考え、それを手助けすることが最も大切であると説きました。

 

こうしたヒポクラテスの姿勢は、後世、医学を自然科学として発展させる支柱となりました。 ヒポクラテス医学の持つ大きな特徴のひとつは、このような科学性にあります。

このようにして『ヒポクラテス全集』の名のもとに、当時の診察法、診断法、治療法が体系化されていきました。

 

ヒポクラテス医学には、こうした科学的な側面と同時に、もうひとつ重要な点があります。

それは医療者に求めた高い倫理性が書かれた『ヒポクラテスの誓い』です。

このヒポクラテスの誓いは、現在でも北米のほぼ全ての医学校の卒業式の誓いとして宣誓されるそうです。

 

 

最後に、『ヒポクラテスの誓い』を掲載して、今回の記事を終えたいと思います。

『ヒポクラテスの誓い(訳:小川鼎三)

 

 医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

 

1.この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。

 

2.その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

 

3.私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。

 

4.頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

 

5.純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

 

6.結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

 

7.いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。

 

8.医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

 

9.この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。』

 

※日本医師会ページより掲載

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