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整体日記

年別アーカイブ: 2015年

第12回被災地ボランティアに行ってきました。

先日8月8日(土)の営業終了後、福島県いわき市に向かい、
8月9日(日)に、NPO法人トータルヘルスサポーターズの第12回被災地ボランティアを行いました。

 

午前中は、いわき市のベースキャンプとしてお世話になっているNPCバレエスクールにて、チャリティ整体を行いました。

 

柏 整体

ベースキャンプNPCバレエスクールのチャリティ整体では、   整体施術1回につき、募金を頂いています。

 

こちらで集めた募金は、東日本大震災・津波で親御さんを失った震災孤児のお子さんをサポートするために、あしなが育英会の東日本大震災遺児基金へ募金をしています。

東日本大震災・津波遺児への支援活動に対するご寄付

 

チャリティ整体を受けに来てくださっている方も、東日本大震災により大きな痛みをしょっている方たちですが、「より困っている子供たちの助けに少しでもなりたい。」という想いでチャリティ整体に参加してくださっています。

 

柏 整体

 

 

 

 

午後からは場所を移し、ベースキャンプのNPCバレエスクールにほど近い楢葉町作町一丁目仮設住宅に向かい、整体ボランティアを行いました。

 

柏 整体

今回の楢葉町(原発避難地域)仮設住宅はお盆時期ということで人もまばら。

 

その分、施術以外で比較的ゆっくりとお話しをする時間がもてました。

自治会の方も最初は「愚痴を言っちゃってごめんな~」なんて言いながらのおしゃべりが、最後の..方は涙がこらえきれず言葉に詰まってしまう場面もあり、私も胸に込み上げてくるものがありました。

 

話の内容は、将来に対する様々な不安が未だに解消されないこと。避難者の方たちの中にも、格差が存在すること。

特に、楢葉町で細々と畑をやって生活している独居老人の方などは、楢葉町の避難指示が解除されて、それとともに補償金が打ち切りになってしまっては、楢葉町に戻って生活を立て直す気力や体力も残っておらず、将来に対して非常に悲観的になってしまっているということでした。

 

このような話を涙ながらに語ってくださり、ただただ耳を傾けることしか出来ませんでしたが、私も現地に足を運ばなければ何も知らないままでした。

 

柏 整体

毎回毎回、現地に渡航し、現地の方の話に耳を傾けると、メディアからでは決して知ることの出来ない、現実の実情を知ることが出来ます。

 

私たちは耳を傾け、整体施術を行うことしかできませんが、それでも繋がりを持つことによって、現地の方たちは「私たちは、まだ忘れられていない。」と心の支えになっていることを実感しています。

 

なので、これからも継続して足を運び続け、現地の声に耳を傾けていきたいと思った第12回被災地ボランティアでした!

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第12回被災地ボランティアに行ってきます!

柏 整体

本日の営業終了後、NPO法人トータルヘルスサポーターズの第12回被災地ボランティアに行ってきます!

 

明日8月9日(日)午前中は、福島県いわき市のNPCバレエスクールにて、整体ボランティア。
午後は楢葉町仮設住宅にて整体ボランティアを行います。

 

おかげさまで、この被災地ボランティア活動も継続3年、渡航回数も12回目を迎えました。

 

「私たち出来ることをコツコツと継続していく。」をモットーに活動を続けてきましたが、これからもコツコツ継続することを大切に、被災地の皆さんのお力になれるように頑張ります!

 

「絆」

 

「笑顔」

 

大切にします!!

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医学の歴史~中世【近代外科学の父パレ】

今回は、NPO法人トータルヘルスサポーターズのブログリレー担当として、医学の歴史を書きます。

 

前回に続き、医学史の偉人から医学の歴史を紐解いていきます。 今回は、中世ヨーロッパの『近代外科学の父』と呼ばれたアンブロワズ・パレから医学の歴史を紐解きます。   アンブロワズ・パレはB.C1510~B.C1590に活躍したフランスの人で、身分の低かった「理髪外科医」から身を起こし、やがてヨーロッパ最高の医師となった外科医です。

柏 整体

 

カトリック教会が支配していた中世ヨーロッパでは、「教会は血を忌む」との教えから、外科は「汚らわしい野蛮な行為」と認識されていたため、大学で正式な医学教育を受けた医師たちは、自らメスを持つことなどなく、教養のない理髪師たちを指図して外科処置を行なわせていました。

 

当時の外科治療とは、ヒゲを剃ったり髪を切ったりする行為の延長にあるものという認識で、彼らを「理髪外科医」と呼んでいました。 ちなみに、「赤、青、白」のくるくる回る床屋のサインポールは、理髪師が外科医をかねていた名残(赤は動脈、青は静脈、白は包帯)といわれています。※本当の由来は定かではありません。

 

実際、当時の外科治療といえば、せいぜい体表の膿瘍の切開程度のもので、その他は「瀉血」「焼灼」「吸い玉」など、医学的信憑性の薄いものでした。 中世ヨーロッパはフランスとイタリアで覇権戦争が盛んだったことにより、火薬技術が発展し、戦争の銃創が化膿するのは、火薬の毒に汚染されているためと考えられていました。

 

また今でこそ、痛々しく信じがたい治療法ですが、当時は火薬の毒を消し去るためということで、傷口を煮えたぎった油で消毒したり、焼きゴテで焼いて消毒したりという処置を行なっていたために、怪我人は治るどころがますます重篤な事態に陥っていました。

 

そこで軍医として配属されたパレは、運ばれてきた戦傷者に対して、煮えたぎった油を染み込ませた布での痛々しい消毒の代わりに、卵黄と油を混ぜて冷やした軟膏をつくり、その軟膏を塗ってやさしく包帯で包むという方法を試しました。 この方法の方が戦傷者の苦痛が和らぐと思ったからです。

 

その次の日、驚くべきことに戦傷者は今までの治療では考えられない回復を見せていました。これが軟膏の始まり、外科学のルネッサンスが始まった瞬間です。

「我、包帯し、神、これを癒したもう」

これはパレの残した有名な言葉です。

 

こうして戦場で名声を高めたパレは、その後の従軍でさらに画期的な手術法を開発しました。 当時は、四肢の切断などの重篤な戦傷者に対して、出血を確実に止める方法がなかったため、焼きゴテで切断端を焼くという方法が採られていましたが、これは耐え難い苦痛を与え、しかも火傷による重篤な副障害をもたらしていました。

パレは、「血管の断端を糸でくくれば確実な止血ができる。」と考え、これにより「血管結紮法」が誕生しました。 今でこそ常識的なことですが、当時は非常に画期的な発見でした。

 

こうして、戦場で数々の奇跡を起こしたパレは、やがて国王アンリ2世の外科侍医という名誉ある職に任命され、気管切開やヘルニア、口蓋裂などの手術法、義手や義足の開発など数々の業績を残し、その後4代にわたるフランス国王の侍医をつとめ、1562年、国王シャルル9世の筆頭外科医の職に任命され、ついにフランス最高の医師に認められました。

 

このように残酷と思える治療法から近代的な治療法を確立した「優しい外科医パレ」には、こんな逸話も残されています。 病床にあった国王シャルル9世との会話の中で、シャルル9世に「哀れな患者よりもっと良い手当をしてくれ」と言われ、パレは「それはできません。すべての病み人に国王と同じ手当をしているからです」と答えたと云われています。

 

アンブロワズ・パレは、迷信から外科学を解放し、実験医学の基礎を確立した偉大な医学者であり、当時低い立場にあった理髪外科医の社会的地位を高めた医学界の改革者であり、患者一人一人に対して愛をもって人を癒すことを実践した信仰心の篤い優しい外科医でした。 彼が近代外科学の父と呼ばれ、今も世界中で語り継がれているのは、画期的な外科治療法の発見だけでなく、このような高い人格性によるのでしょうね!

 

今回は、【近代外科学の父パレ】から医学史を学びました。

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